もし、あの時自分が変わらなければ、今頃私はこんなに人生を楽しめていたでしょうか?

もし、あの時仲間ができていなければ、こんなに子育てを楽しめていたでしょうか?

ひとり孤独に子育てをしているあなた。

あなたはかつての私です。

もう、ひとりで背負うこと、ありませんよ。

あなたの仲間が、どこかに必ずいます。

そしてきっとこのブログの中にも、その姿は見つかります。

 

 

はじめまして、アキです。

当サイトに来て下さいまして、本当にありがとうございます。

私は神奈川県の山奥で田舎暮らしを楽しみながら、3人の子育てをしている普通の主婦です。

かつての私は、ママ友が全くいない、孤独なママでした。

誰とも心を通わせられずに悶々と子育てすること約4年。

あまりのストレスでハゲ3つ。

本当に辛くて、暗くてとてつもない長いトンネルにいるようでした。

そんな私がどうにかこうにか少しづつ仲間をつくり、仲間に助けてもらいながら自分を取り戻し、息を吹き替えしていきました。

 

そしてその仲間の輪がやがて神奈川を超え、3.11を機に遠い福島のママ達と繋がり、絆を作っていきました。

 

現在孤独に子育てをしているママ。

それはかつての私です。

子育ては、ママがひとりで戦うのは苦しいです。

そんな孤独なママがひとりでも多く、仲間と一緒に元気に、「子育て」という素晴らしい仕事を楽しんでいけるようにお手伝いできたら、こんなに嬉しいことはありません。

 

子育てはとても素晴らしく、誇れる仕事です。

未来の日本の担い手を育てていく作業ですから。

 

だからこそ、ママたちには仲間を作り、元気に子育てを楽しんでいってほしいです。

 

こんな私ですが、自分が経験してきた子育ての悩みとそれを解決してきたストーリーをお伝えしたいと思います。

どこかのママのお役に立てたら、こんなに嬉しいことはありません。

ママ友がいなかった、孤独な時代

 

中学校、高校、社会人生活。

浮いてました。

なんか、人と合わない。

話がずれる。

私はフツーにしてるのだけど、なぜかいつも浮いている。

目力が強く、特に同年代の男子からはいつも引かれていました。

「なんかこえーよ」って。

 

不思議ちゃんでした。

好き嫌いが激しく、やりたい事しかやらない。

そんなだから彼氏ができては消え、できては消え。

気づいたらアラサー。

あらさー、やばいさー。

 

とある日、中学時代の同級生と再会。

初めて中学生になった日に、隣の席に座っていた物静かな男の子。

これが私の旦那です。

 

めでたく結婚し、待望の子どもができたはいいが、また自分の中の不思議ちゃんがカムバック。

 

 

ママ友が全然できない!

 

 

まわりのママたちは楽しそうにグループで親子連れで遊んでいるのに、私はいつも下を向いてベビーカーを押している。

頑張って声をかけてみても、なんか話が噛み合わない。

今までずっと浮いてきたのに、ママになったからと言って、急に変われるわきゃありません。

 

旦那は日付が変わらないと帰宅しない。

毎日毎日、ひとりでわからんちんの子どもたちと向き合っていました。

振り切れ寸前でした。

長男4歳、長女2歳、次女がお腹にいた頃です。

 

田舎暮らしの始まりと、運命の出会い

 

私達夫婦は、田舎暮らしに憧れていました。

大自然の中で、カフェでもしながら子育てしたいねって。

 

いろいろ探し回り、ここ、宮ヶ瀬湖の近くにかわいい中古の家を見つけました。

引っ越してきて早々、山のふもとにあるこの家で、次女はみんなに囲まれて生まれ、私達の田舎暮らしはスタートしました。

(カフェは残念ながらしてませんけど…)

 

ここで運命の出会いがあったのです。

まさか、自分の人生を変えるほどの強烈な出会いとは知らずに…。

 

次女がお世話になった助産師さんが教えて下さいました。

私が、普通じゃない幼稚園を探してる、って言ったら、あるチラシを下さったのです。

 

「毎日が冒険」

そう書かれてありました。

 

園舎がなく、毎日マイクロバスで移動し、山や川で遊ぶ。

 

ここだ!

ここしかない!

瞬時に入園を決めました。

 

 

「みんなで育てる」

それがこの幼稚園のモットーでした。

毎日の保育には、園長先生と、お母さんが2人づつ、日替わりで保育当番をします。

お母さんたちで、お互いの子どもたちを育てる訳です。

もう、みんな自分の子どもたちのようでした。

 

昭和の子どものように、鼻をたらしながら、走り回る子。

冬なのに草履をはいている子。

山猿のように木に登る子。

子どもたちは本能のまま、自然の中で一心不乱に遊ぶ。

母親たちは代わる代わる、子どもたちをみる。

 

 

一人ぼっちで子育てしてきた私にとって、本当に初めての経験でした。

こんな私に仲間ができ、子育ての中の楽しみや苦しみをシェアできる、ママ友が生まれて初めてできたのです!

 

私達はお互いに、本当にいろんな事を語り合いました。

子どもが魔の2歳児で気が狂いそうだよ、とか

旦那が帰ってこなくてもう超絶切れそうだよ、とか

旦那も遅いし実家も遠いし、子ども3人男でストレス振り切れそうだよ、とか

 

本当に毎日毎日、ママ達と語り合いました。

旦那は相変わらず帰れない日々が続いていましたが、私が子育てに何とか立ち向かえたのは、このママ友のおかげでした。

 

東日本大震災の発生と、ボランティア開始

 

長男が卒園式を迎える直前。

2011年3月11日。

長男をお迎えに行く車の中で、尋常じゃない揺れを感じました。

ふと見ると、近くのパチンコ屋から、たくさんの人が出てきます。

 

これは普通の地震じゃない。

車を飛ばして幼稚園のバス停に向かいました。

道路の信号は停電。

 

無事にバス停に滑り込んできた幼稚園バスから息子をおろし、なんとか帰宅してテレビをつけた瞬間、

津波に飲み込まれる仙台空港。

目がクラクラしてきました。

 

 

でも本当の恐怖はここからでした。

 

 

「福島原発が空焚きになってる!」

 

 

地震の数日後、旦那があわてて電話してきました。

 

 

「外に出るな!」

 

 

いえいえ、もう遅い。

子どもたちはずっと外にいました。

森のようちえんなんですから。

 

 

おかしい事がたくさんありました。

子どもたちがやたらと目を痒がる。

長男に、でっかい口内炎ができ始める。

 

 

放射能のせい!?

私は恐怖で子どもたちを幼稚園に行かせられなくなりました。

祖父母が住む福岡に避難しようかと思いました。

でも悩みました。

ここで自分だけ避難したら、絶対に友達関係が切れる。

 

ならば、ガイガーカウンターを買って、生活圏の空間線量を計ってみてから考えようと、旦那と話しました。

 

すると、そんなに心配するほどではなかったのです。

 

ようやく胸をなでおろし、幼稚園も再開させることができたのです。

2011年の夏です。

 

 

でもこの年の秋。

私の人生を変える、あるひとつの新聞記事 に出会うのです。

 

 

「悲しいけれど、福島では必ずチェルノブイリと同じ病気が現れる」

 

私はいてもたってもいられませんでした。

自分の子どもたちの健康と将来を憂いて、悶々と悩んでいた自分と、福島の親たちの苦悩を重ねていました。

 

福島の親たちは、今どんな思いで子育てをしているんだろう?

何ができるのかわからないけれど、何かをしなければならないのは明白でした。

 

 

「集団疎開だ!」

 

 

と私は思いました。

 

私の父は戦争中、学童疎開をしていました。

その頃のひもじかった思い出を、幼少時代から何度となく聞かされてきました。

 

この原発事故が起きたとき、「学童疎開」の文字が真っ先に現れ、私の頭から離れなくなったのです。

 

 

私は思い立ったら突き進む孤高のイノシシ。

嘆願書を持って神奈川県知事に会いに行く事を決めました。

もちろんアポなんてありません。

 

 

「逮捕されないでよ」

と泣きそうな程に心配する母に3人の子どもたちを預け、長い間着てなかったスーツに着替え、横浜の神奈川県庁に向かいました。

 

 

まっすぐに知事室に向かいます。

 

「知事に会いにきました」

 

しばらく沈黙。

 

答えはもちろんノー。

 

「知事は会えません」

 

ですよね。

でもこんな時のためにと作ってきた嘆願書を秘書に預けてきました。

 

 

嘆願書は

「神奈川県の廃校に、福島県の避難指示区域に指定されている小学校の生徒を、学校ごと受け入れて下さい」

 

でも知事からは、待てど暮せど連絡は来ません。

 

ならば、もういい。

自分でやる。

 

そう決めて、相談したのが、幼稚園のママ友たち。

自分たちに何ができる?って。

そこで集まった3人で決めました。

「保養キャンプ」を始めようって。

 

 

「保養キャンプ」とは、少しの間でも、福島県から離れた地で子どもたちを受け入れる宿泊プログラムのこと。

今も日本各地で行われています。

 

わたしたちは、もちろんノウハウも資金もありませんでしたが、やると決めました。

母ちゃんたちはやると決めたらやるのです。

幼稚園の会議にかけると、有志のママたちが集まりました。

こうしてボランティア団体が立ち上がりました。

 

 

その名も「母ちゃんず」。

 

福島のママ達との出会い

 

2012年3月から初回キャンプを開始し、現在に至るまで続いています。

のべ、約1000人の親子を受け入れてきました。

 

 

そこで私達が見たもの。

原発被害の恐怖に震えながら、その不安を誰にも言えずに苦しむママたちの姿でした。

原発事故直後は、そんなママ達も声を上げていたのです。

 

「早く除染して!」

「給食の放射能測定を!」

「避難の権利を!」

 

 

でも、数年後は疲れ切っていました。

同居する両親や祖父母たちから、国が安全と言ってるのだからだから騒ぐな、と言われたり

騒ぐと役所で働く親戚に迷惑がかかると言われたり

避難して家に帰ってくると、ご近所さんや友達から、白い目で見られたり…。

だから、恐怖にフタをして、気にしないフリをして、生活しているのです。

 

 

でも、鼻血や微熱や下痢に悩まされる子どもたちがいます。

原因不明の足の痛みを持つ子どもがいます。

娘は将来結婚できるのだろうか?

そんな悩みをもつ親もいます。

でもそんな不安にフタをして、何食わぬ顔をして福島で生活していくしかないのです。

 

 

そんなママ達が心から安心できるのが、この「保養キャンプ」なのです。

なぜって、孤独に戦っているママたちが、唯一、同じ思いを共感しあえる場所だから。

 

 

みな、最初は緊張した顔で到着します。

でも相部屋で夜な夜なママ同士で話し込み、日に日に緊張が解け、やがて素敵な笑顔を見せてくれるようになります。

 

福島で不安に子育てをする苦しみを、吐露できる仲間に巡り会えた。

 

 

この苦悩のレベルは格段に違えども、この孤独に戦う姿は、かつての私でした。

でも仲間ができるにつれ、どんどん息を吹き返し、本来の自分になれた。

元気になれた。

 

 

保養キャンプが終わり、福島に戻っていくママたちは言います。

これでまた元気に生活できます、と。

そうなんです。

やっぱり、仲間なんです。

元気に子育てしていくために必要なのは。

 

ママが仲間と一緒に輝くために

 

かつての私が切望していたように、福島のママ達が、いえ、全てのママ達が必要なのは、ともに乗り越える仲間なんだと思います。

仲間がいれば元気に立ち向かえる。

 

だから私は思います。

今、孤独に子育てをしているママ達に、仲間ができて、そして元気に楽しく生きていいってほしいな、って。

 

ママ達が元気を取り戻し、本来の輝きと強さを持てたら、それこそ子どもたちの誇りとなります。

子どもたちはそんなママ達の背中を見て育ちます。

子どもたちはやがて自分のママのように、自分の人生を大切に、そして元気に生きていきます。

そんな人間が増えたら、日本はもっともっと良くなるはずです。

私はこう信じています。

 

だからこのブログを書くことにしました。

ひとりで悶々と子育てをしているママが心身共に元気になり、母ちゃんパワーで生きていってほしいです。

このブログが、そんなママたちのお役に立てれば、こんなに嬉しいことはありません。

 

 

 

ママの元気は子どもの元気。

 

子どもの元気は世界の元気。

 

さあ!

 

今日も一日、元気に、はりきっていきましょう!!